7月22日~23日に宮城県被災地へ、明治大学公共政策大学院の青山佾先生や留学生など約60名で視察に行ってきました。当日は冷たい雨が降っており、復興がなかなか進まない被災地が尚更寂しく感じました。
宮城県仙台駅を出発し、隣接する岩沼市で被災した神社や「千年希望の丘」を見学、海岸線に沿って南下し、山元町に到着。役場にて山元町の被害状況や震災復興計画について説明を受けました。その後、児童など90人が助かった「町立中浜小学校」を訪れました。
【千年希望の丘】
大震災により発生したガレキを利用して造成・植樹した丘。高さ8mの丘は、避難場所や防災教育として、また記憶の伝承の役割を担い、今後沿岸部約10kmに14カ所の整備を目指すとのこと。
【山元町役場】
震度6強の地震と10mを超える津波に襲われた山元町の被害は、死者数633人、家屋被害約4400棟、避難者数5800人、農地面積の約60%が浸水するなど、壊滅的な被害を受けています。当日は、森教育長が生々しい震災時の状況や、現在に至る復興への取り組み状況をご説明頂きました。震災から2年4カ月が経過しましたが、未だに応急仮設住宅には約2200人もの方々が入居されているとのお話に、現地は今も被災中なのだと改めて認識しました。
【中浜小学校校舎】
海岸から300mに立地し、10mを超える大津波に襲われた中浜小学校。井上校長(当時)は、危機管理マニュアルにある1.5km先の避難所までの移動は無理と判断し、校舎の屋上にある屋根裏部屋に避難を指示しました。そして、翌朝に自衛隊のヘリで全員が救助されています。
地域のほぼ全てが流された中、多くの命を救った校舎は、生きた防災教育の場として保存する事が決まったそうです。2階の軒まで及んだ津波で教室は滅茶苦茶に破壊され、小さな屋根裏部屋の子供達は本当に怖かったと思います。
まだまだ復興はこれからだと感じました。最低でも1年に1度は被災地を訪れようと考え、今回3回目の現場視察となりましたが、現場のご苦労は想像を超えていました。住宅や農地、防潮堤から道路、JR常磐線など復興計画は盛りだくさんです。最も困難なのは、住民との合意だと思います。
被災地から遠くに暮らす私達にとって、東日本大震災は過去の出来ごとになってきました。ご多忙とは思いますが皆様にも、是非被災地に足を運び復興状況を自分の目で確認して頂きたいと思います。それは、自分が何を出来るかを考える機会や、自分が住むまちを再度見直す機会を与えてくれると思います。『風化させてはならない』と強く感じた視察でした。また、AKBから寄贈された車が大活躍していたことも報告しておきます。最後に、休日にも拘らず受け入れて下さった森教育長、山元町総務課の皆様、本当にありがとうございました。